忘れていくこと
生きている中で、そうめったにではないけれども”今はとても辛い”っていうような激しい心の動きがある瞬間や一定期間それが持続することがある。
その渦中にいる間は、必死でとにかくなんとかして解決したいとか、何とかなってほしいとか、どうにもならないよねとか。とにかく絶望的な気持ちになる。
でも、それが永遠に続くことはない。
いつかその激しい波は静かに落ち着き、そうなると本当にのど元過ぎれば何とやら、で。
恐ろしいぐらいに「あのときは、きつかったなあ」っていうように”思い出”になってしまう。
木村敏サンのいうところの、
「(今まさに)辛いということ」
が
「(あの時の)辛かった期間」
というように、その期間自体のことを「モノ」化してしまう。
してしまうというか、自然とそうなるのだけど。
ここのところは、慢性的なストレスが続いて、気が狂いそうになるけどふとある瞬間に、「あ。これもまた、わたし忘れていっちゃうんだろうな」って思っちゃって。
こうやって必死にやっている「こと」
非常に辛いって思っている「こと」
抜け出したくっても抜け出せないともがいている「こと」
何だか、不健康だな、と自分に嫌気がさしている「こと」
こういう全てが、「あのつらかった時期」という風に、たとえば写真1枚に収められちゃうような「出来事」となってしまうんだろうな。
もちろん、これまでもずっとそうだったし、それでいけないとは全く思っていない。
ただ、これまでは「まあ、いま辛くってもこれが永遠に続くわけではないよね、がんばろうがんばろうあと少し。いまできることをできる限りやればいいじゃないか」という恐ろしいぐらいの前向きな気持ちになっていた。
でも、これは初めてのことで結構自分でもびっくりしたのだけど
「それって、なんか、むなしいな」
とも、思ってしまった。
こんなに思いつめたって、思いつめたこと自体忘れちゃうんだよな。
な~んか、馬鹿らしいわ。そういう風に思ってしまった。
とても、気楽な気持ちになったと同時に。
こんなになんか切羽詰まったり懸命になっているこのフレッシュな感覚を、後から思い出してまた同じようにリアルに体感することはないわけで(いや、なくていいけど、もうこんな思いしたくないし)。
本当に当たり前のことだけど。
何か、この体験を通じて、「大変な思いをしてなんとか成し遂げたもの」を形として残しておいた方がいいのだろうという気がするのも、こういう風に「忘れていくこと」ってさみしいじゃんって思うからなのかもしれない。もちろん、文書として残すとか、何か創作物として残すとか、そういうものがなくたって、体験と変動した感情の波から得たものが血となり肉となり「私」に肉付けされていくから、そこは躍起になる必要もないとは思うけど。
忘却能力は自己防衛のために備わっている、と聞いたことがある。
まあ、それは納得できるなあ。
あまりにも悲しい瞬間とかが、いつまでもリアルなまま保持されていたら、生き続けていっていろんな感情が蓄積される程生きていくことが辛くなるものね。
これは、超記憶症候群、ってやつね。
それはそれは辛いだろうな。
まあ、自分で最初に書いたけど結局のど元過ぎれば熱さ、完全に忘れるでしょ。
結局、困難にぶつかっている最中なのに、こうやって、結局万事は同じような経過をたどるんだって思っている私は、やっぱり楽観主義者なのだろう。
はやくおわれ、長くて暗いトンネル。
その渦中にいる間は、必死でとにかくなんとかして解決したいとか、何とかなってほしいとか、どうにもならないよねとか。とにかく絶望的な気持ちになる。
でも、それが永遠に続くことはない。
いつかその激しい波は静かに落ち着き、そうなると本当にのど元過ぎれば何とやら、で。
恐ろしいぐらいに「あのときは、きつかったなあ」っていうように”思い出”になってしまう。
木村敏サンのいうところの、
「(今まさに)辛いということ」
が
「(あの時の)辛かった期間」
というように、その期間自体のことを「モノ」化してしまう。
してしまうというか、自然とそうなるのだけど。
ここのところは、慢性的なストレスが続いて、気が狂いそうになるけどふとある瞬間に、「あ。これもまた、わたし忘れていっちゃうんだろうな」って思っちゃって。
こうやって必死にやっている「こと」
非常に辛いって思っている「こと」
抜け出したくっても抜け出せないともがいている「こと」
何だか、不健康だな、と自分に嫌気がさしている「こと」
こういう全てが、「あのつらかった時期」という風に、たとえば写真1枚に収められちゃうような「出来事」となってしまうんだろうな。
もちろん、これまでもずっとそうだったし、それでいけないとは全く思っていない。
ただ、これまでは「まあ、いま辛くってもこれが永遠に続くわけではないよね、がんばろうがんばろうあと少し。いまできることをできる限りやればいいじゃないか」という恐ろしいぐらいの前向きな気持ちになっていた。
でも、これは初めてのことで結構自分でもびっくりしたのだけど
「それって、なんか、むなしいな」
とも、思ってしまった。
こんなに思いつめたって、思いつめたこと自体忘れちゃうんだよな。
な~んか、馬鹿らしいわ。そういう風に思ってしまった。
とても、気楽な気持ちになったと同時に。
こんなになんか切羽詰まったり懸命になっているこのフレッシュな感覚を、後から思い出してまた同じようにリアルに体感することはないわけで(いや、なくていいけど、もうこんな思いしたくないし)。
本当に当たり前のことだけど。
何か、この体験を通じて、「大変な思いをしてなんとか成し遂げたもの」を形として残しておいた方がいいのだろうという気がするのも、こういう風に「忘れていくこと」ってさみしいじゃんって思うからなのかもしれない。もちろん、文書として残すとか、何か創作物として残すとか、そういうものがなくたって、体験と変動した感情の波から得たものが血となり肉となり「私」に肉付けされていくから、そこは躍起になる必要もないとは思うけど。
忘却能力は自己防衛のために備わっている、と聞いたことがある。
まあ、それは納得できるなあ。
あまりにも悲しい瞬間とかが、いつまでもリアルなまま保持されていたら、生き続けていっていろんな感情が蓄積される程生きていくことが辛くなるものね。
これは、超記憶症候群、ってやつね。
それはそれは辛いだろうな。
まあ、自分で最初に書いたけど結局のど元過ぎれば熱さ、完全に忘れるでしょ。
結局、困難にぶつかっている最中なのに、こうやって、結局万事は同じような経過をたどるんだって思っている私は、やっぱり楽観主義者なのだろう。
はやくおわれ、長くて暗いトンネル。
by desreelove
| 2010-12-18 14:01
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