日々

携帯電話とこどもたち

小中学生の携帯電話原則所持禁止を法令化するとかしないとか


時代は変わったなあと、こういうニュースを聞くと強く感じる。
これが議論になること自体、個人的には少しびっくりである。
  ↑この反応の仕方が、すでに自分は若くないのだと
   感じさせられる要因の一つ。うむ。




こどもたちの言い分もわからないでもない。
「携帯電話持っていないの、クラスで私だけなんだよ!」
それは、つらかろうね。
仲間外れって、いじめって、案外こういうことをきっかけに
始まったりもするもので。
私たちの時代で言う、ファミコン、とかゲームボーイ、とか?
サンリオグッズ、とか?
人気ドラマを見せてもらえないおうちとか?


ちょっと、現代における携帯電話の存在意義を考えてみた。

◆子どもにとっての携帯 ポイント① インターネット機能

「子どもと携帯電話」で問題となっているのは、ネット機能なのだと
一部報道にあった。
いやね、たしかに、自分がもしも子どもだったら、そしてネットが自在に
手元でできたらそれこそ怖いことも気持ち悪いことも非人道的なことも
エッチなことも、相当興味シンシンだろうし、絶対親に隠れてこっそり
夜な夜な夢中になりながらネットサーフィンまくり、だと思うんですよ。

親としては、これで変なサイト見てないかしらとか、架空請求に騙され
ちゃうんじゃないかしら、とか怪しい出会い系サイトで変な事件に巻き
込まれちゃうんじゃないかしら、とか。
親サイドからするとどちらかというと、このネット機能のほうを危惧して
いるのではないかと私は思う。

ブログやプロフの問題もあるのかな。
全く会ったことのない見ず知らずの、でも趣味や価値観の似ている友を
見つけることだって、もちろんできる。
これをきっかけに素晴らしい関係性を築くことだってできる可能性もある。
これはインターネットがなければほとんどあり得ない人との出会い方。
現代ならではの、交友の広がり。

でも、その気軽さと手軽さから、使い勝手のよさや明るく楽しいイイ部分
だけに目が行く。
しかも自己主張を、自意識を前面に押し出したいお年頃の子どもたちが
ちょっと行き過ぎた個人情報をうっかり提供してしまったりね。
それから、匿名性の怖さをを知らないままに思い思いの発言をしてしまう
こともあると思う。
自分自身の発する言葉に対して無責任であっても、匿名であればまあ
いいか。それって、本当に怖い。
ブログ上でのいじめ、不特定多数からの厳しい言葉。
手軽にできるから、匿名だから陰湿な悪い感情の爆発も加速・加重させ
やすいのだろう。
「そうだそうだ!」
「わたしもそうおもう!」
「俺もおれも!」
って、連なりやすい。
もしも一人の子どもがその標的になってしまったら。
自分に向けての、誰からの言葉かわからないどうでもいいような悪口を
軽く適当に流せてしまうほど、子どもはまだ汚れてもいないし強くもない。


◆子どもにとっての携帯 ポイント② メール機能

実は子どもたちにとってはこちらのほうが実生活の中で重要な位置を
占めているのではないかと思う。
若い人々の間では、ほぼチャット状態と思われるほどものすごい勢いで
メールのやり取りがあるらしい。
われら世代でいうところの、そもそも携帯電話を携帯していなかったとか
メールに気付かなかったとか、翌日にお返事、なんて許されるまじき行為
らしい。
1日、1通もメールがなかった、とかあり得ないらしいですな(←私はこれ、
ありますよ、こういうとき、正直)。
まあ、私たちとは感覚が違うのだろう。
自分としては、大事なことですぐに返事がほしいことは、直接話せ、まあ
百歩譲って電話。という感覚。
メールは、いつ気づいてもいい、いつ返事もらってもいいという気ままな
用途で使うことのほうが多い。

ニュースで「もしも携帯電話を持つことが禁止になったら」という質問に
中2女子が「そんなの死んじゃうよ~」と。
”死んじゃう”は、大げさでは?!
と思った直後に、もしも本当に自分が今のこの瞬間に中2で、携帯電話
にとても依存した生活を当然のものとしていたと考え直したら、やっぱり
死んじゃいこそしないまでも「かなり困ったことになる!」とは感じるだろう
なと、思ったのです。
彼女たちにとっての携帯電話って、一体どういった存在なのか、ちょっと
自分の若かりし頃に置き換えてみたら…

私自身、毎日学校の行き帰りも、休憩時間もずっと一緒にいる友人と家に
帰ってからまた長電話したり(黒電話、子機なし、親はそばにいるためきわ
どい話できず)、一体どれだけ話すんだ、っていう時代があったもんだから
あれを携帯電話やメールで代用できるのならばそんなにいいものはない!
と感じるだろう。
しかも、授業中にメモ帳でくだらないことをまた、お手紙にしてやり取りして
みたり。
そんなものも、メールに代用されるのであれば、起きているほぼすべての
時間が、携帯電話に支配されていると感じるのも無理がないだろう。
なくなったら、実際死んじゃうことはなくても、確かに「精神的死」と感じるの
かもしれない。

最初からそのようなものがなければ、子どもが全員そんな「おいしい」機器
を手に入れられなければ、それはまたそれできちんと代替となる何かで盛
り上がるわけだし、ネットがないからといってヒトとしてまっとうな成長できな
いわけでもないし。
でも、ひとたび手に入れてしまったとっても便利なものを急に取り上げられ
たら、それはひどく不安になることだろう。

それは例えば、我々の生活に一度、電化製品が当然のように生活に根付い
てきたのに、それを突然全部なくして洗濯板であらいものをしたり、エアコンが
消えて、うちわや七輪で寒暖をしのぐ生活をしろといわれてるようなものなの
かしら。
そんなに、クリティカルなものではないかもしれないけれども、まあ、子ども
たちの社会にとってはそれぐらい大きなものなのかもしれない。


テレビのニュースでは、また極端なことばかり流すから、「ま、世論がそういう
意見なら禁止にしたらいいのではないですか」みたいなすごく冷めた小学生
とか、「携帯電話って何ですか」みたいなとっても素朴な中学生とか、「もう、
携帯なんて使い尽くして飽きちゃったよ」ぐらいの高校生とか、そういう色々な
意見を、生の声を聞いてみたいものです。


いや、しかし、こどもたちよ。
家電(イエデン)しかなかった時代、我々がどうやって、好きな子にアプローチ
していたか知っているかい?
そりゃもう、待ち伏せ、下駄箱手紙、恥を忍んで自宅に電話。
この障害が恋心をさらに盛り上げるのだということは、疑いようのない事実。
告白するのも、メール、断られるのもメール、なんて悲しすぎるでしょ。

携帯電話のない時代、待ち合わせはどうしていた?
絶対遅刻なんてできません。だって、遅れたら遭遇できないかもしれない
じゃない?!
万が一時間通りに来なかったら、やっぱりお互いが実家へ電話。お母さんは
電話の交換手でした。
だめよ、”まあ遅刻しても適当に連絡して今いる場所で合流するわ” なんて
甘い気持ちじゃ!

メールなら、恥ずかしいことも、言いにくいこともやんわり言えるの。
「逃げ」られる。
本心じゃなくても、表現次第では相手を勘違いさせることもできちゃう。

でも、やっぱりここぞっていう大事な時には目を見て、相手と本気で向かい合う
という瞬間をきちんと持てるような環境に自分自身が生きたいし、子どもたちにも
そうしてほしいと私は個人的に思う。

手書きのお手紙の温かさを心地いいと思えるような文化が、いつの時代にも
根付いていてほしい。メールじゃ、絵文字じゃ物足りない。
その人特有のフォントで書いた、温度のある手紙でないとだめな時があるって、
感じてほしい。

まあ、きっとこういうことだって皆無にはならないのだろうけど、思いのほか携帯
電話の存在感が、心と頭とを占める割合がとてつもなく大きくなってきてしまった
のだろなあ。


ニュースを見て、ふうん、なんて何の気なしに思いを巡らせていたら、なんだか
長くなってしまった。。。

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by desreelove | 2009-06-24 18:04 | ふと一言

2012年4月よりカナダトロントに住んでいます。
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