上村松園・松篁・敦之 三代展
行ってきました。
高島屋ギャラリー、なんていって催物会場の隅でこっそりやっていましたが、その内容はかなり充実!でした。
『格調高い美人画を描き続け、女性初の文化勲章受章者となった上村松園(しょうえん)。
写実性を追求し、花鳥画を極めた松篁(しょうこう:松園の息子)も、文化勲章を受賞しました。
父、松篁と同じく花鳥画の世界を追求する淳之は、鳥たちの佇まいを端正に描き出し、日本藝術院会員として活躍しています。』(パンプレットより抜粋)
そう、親子三代の絵画展なんて、贅沢!
かなり盛りだくさんの作品たちの中でも、自分としてはやはり松園の「美人画」が一番印象的でした。
松園は小さい時から絵を描くのが好きだった。当時、松園が生まれる前にすでに父は亡くなっており、母は女手一つで子供を育てていたのだが、その松園の「絵を描きたい」という気持ちを尊重して、生きていく上での知恵や女性としての品格、家庭内での仕事、そういう教育よりも松園が学びたいと欲求するがままの生き方を寄り添うように見守り続けたそうな。
当時の時代背景を想像すると、やはりまだ女性画家なんて珍しかったろうし、当然「絵で食べていく」なんて難しい(現代でももちろん)とわかっていたと思うけれど、これを本人の意のままに受け止めていた母。
松園自身が女性の視点から見る「美人」を描くという、その独特の視点に加え、その母の存在があり、すべての絵の中に何か豊かさというか、余裕のようなものを感じる。
せっぱつまっている感が、ない。
気品と、交じりっけのない素直さが、「美人」をさらに美しく艶っぽく見せる。
松園の描く美人。
みんな、物陰から美人を覗き見たヒトこま、みたいなアングルで描かれている。
バチリと正面を見つめている絵は一枚もない。
その物憂げな表情といい、振り返りざまのはかなさといい、桜を見て自然とほほ笑む様といい、これはたまらない!となりそうなものであるが・・・
実は私自身が女性という目線で見ると、これは、モデルである美人、つまり物陰からこっそり見られている方は、実は見られていることに気づいていて一番艶っぽい瞬間を「見せて」いるのかもしれない、とかんじる。
もしくは、松園が、男性がぬすみ見たときに最も「グッと」来るだろうと思われるであろう角度や若干の着物はだけっぷりを選んで描いているのではないかとかんじる。女性の線の丸みを、やはり松園も自分が持っていたが故、リアルに描いている。
いずれにしても、女性ならではの目線で捉えられているなあとかんじた。
たとえば、お顔の色が、まるでお化粧を実際にしているような色付けをされている。
今でいうチークの位置とか、生え際ぼかし作戦(IKKOやはるな愛も実践しているよね)とかが絵に盛り込まれていて、「さすが!」と思った。
いやあ、松園さんがいま生きていらしたら、どんな思いで美人を次々と描いていったのか、直接生の声を聞いてみたかったなあ~~
さらに、息子である松篁の花鳥画。
これまた見事な迫力と細部にわたる描写。
写実派、といわれるのもうなづける作品の出来栄えです。
今回とても興味深かったのは、まだご存命でいらっしゃる淳之さんが、父である松篁の作品についてコメントをしている場面。
父(松篁)は、鳥が好きで、その美しさをカッコよさを前面に押し出して描いていたが、自分(淳之)は、もっと鳥の生態はリアルでシビアで、怖いものだと思っている。共存の難しさや人間の自然に対する傲慢さをよく理解して、その上で生の鳥を描きたいと思っている。
(↑自分の勝手な解釈ですが、私はこのように理解しました。)
これで、巷では父(松篁)の花鳥画は「箱庭的」、息子(淳之)の花鳥画は対して「野生」と評されたそう。
最後に購入したこの三代展の写真集には、もっともっと親子ならではのエピソード満載で、ちょっと今日は書ききれないけれども、その背景を知ってまた絵を見るとさらに趣を増す感じがたまりません。
いや、シカシ。
やっぱり絵って、素晴らしい。
日本画の独特の味わいが、私はとても好きである。
高島屋ギャラリー、なんていって催物会場の隅でこっそりやっていましたが、その内容はかなり充実!でした。
『格調高い美人画を描き続け、女性初の文化勲章受章者となった上村松園(しょうえん)。
写実性を追求し、花鳥画を極めた松篁(しょうこう:松園の息子)も、文化勲章を受賞しました。
父、松篁と同じく花鳥画の世界を追求する淳之は、鳥たちの佇まいを端正に描き出し、日本藝術院会員として活躍しています。』(パンプレットより抜粋)
そう、親子三代の絵画展なんて、贅沢!
かなり盛りだくさんの作品たちの中でも、自分としてはやはり松園の「美人画」が一番印象的でした。
松園は小さい時から絵を描くのが好きだった。当時、松園が生まれる前にすでに父は亡くなっており、母は女手一つで子供を育てていたのだが、その松園の「絵を描きたい」という気持ちを尊重して、生きていく上での知恵や女性としての品格、家庭内での仕事、そういう教育よりも松園が学びたいと欲求するがままの生き方を寄り添うように見守り続けたそうな。
当時の時代背景を想像すると、やはりまだ女性画家なんて珍しかったろうし、当然「絵で食べていく」なんて難しい(現代でももちろん)とわかっていたと思うけれど、これを本人の意のままに受け止めていた母。
松園自身が女性の視点から見る「美人」を描くという、その独特の視点に加え、その母の存在があり、すべての絵の中に何か豊かさというか、余裕のようなものを感じる。
せっぱつまっている感が、ない。
気品と、交じりっけのない素直さが、「美人」をさらに美しく艶っぽく見せる。
松園の描く美人。
みんな、物陰から美人を覗き見たヒトこま、みたいなアングルで描かれている。
バチリと正面を見つめている絵は一枚もない。
その物憂げな表情といい、振り返りざまのはかなさといい、桜を見て自然とほほ笑む様といい、これはたまらない!となりそうなものであるが・・・
実は私自身が女性という目線で見ると、これは、モデルである美人、つまり物陰からこっそり見られている方は、実は見られていることに気づいていて一番艶っぽい瞬間を「見せて」いるのかもしれない、とかんじる。
もしくは、松園が、男性がぬすみ見たときに最も「グッと」来るだろうと思われるであろう角度や若干の着物はだけっぷりを選んで描いているのではないかとかんじる。女性の線の丸みを、やはり松園も自分が持っていたが故、リアルに描いている。
いずれにしても、女性ならではの目線で捉えられているなあとかんじた。
たとえば、お顔の色が、まるでお化粧を実際にしているような色付けをされている。
今でいうチークの位置とか、生え際ぼかし作戦(IKKOやはるな愛も実践しているよね)とかが絵に盛り込まれていて、「さすが!」と思った。
いやあ、松園さんがいま生きていらしたら、どんな思いで美人を次々と描いていったのか、直接生の声を聞いてみたかったなあ~~
さらに、息子である松篁の花鳥画。
これまた見事な迫力と細部にわたる描写。
写実派、といわれるのもうなづける作品の出来栄えです。
今回とても興味深かったのは、まだご存命でいらっしゃる淳之さんが、父である松篁の作品についてコメントをしている場面。
父(松篁)は、鳥が好きで、その美しさをカッコよさを前面に押し出して描いていたが、自分(淳之)は、もっと鳥の生態はリアルでシビアで、怖いものだと思っている。共存の難しさや人間の自然に対する傲慢さをよく理解して、その上で生の鳥を描きたいと思っている。
(↑自分の勝手な解釈ですが、私はこのように理解しました。)
これで、巷では父(松篁)の花鳥画は「箱庭的」、息子(淳之)の花鳥画は対して「野生」と評されたそう。
最後に購入したこの三代展の写真集には、もっともっと親子ならではのエピソード満載で、ちょっと今日は書ききれないけれども、その背景を知ってまた絵を見るとさらに趣を増す感じがたまりません。
いや、シカシ。
やっぱり絵って、素晴らしい。
日本画の独特の味わいが、私はとても好きである。
by desreelove
| 2009-05-10 20:56
| 本、映画、絵画、音
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