田口ランディ×通崎睦美マリンバ『転生』
行けば必ず何か得るものがある、とは分かっているものの新しい分野のイベントに参加するのは、いつもちょっと気おくれがしてなかなか重い腰が上がらない。
でも、今回は違った。
以前田口ランディさんの朗読を聴いたことがある。
その迫力や思いのこめられた言葉が持つ力のすごさを体感して、生の声や音を同じ空間で聞くことができることが、どれだけ素晴らしいことなのかを痛感していた。
これに加え、私が最も最初に触れた田口ランディさんの作品である「転生」が取り上げられているということ、そしてあのセンスの塊みたいな通崎さんのマリンバがからみつくとなったら、もう楽しみ以外の何物でもない。
マリンバって、実はよく知らなかった。
少なくとも生の演奏を聴いたことは一度もなかった。
その音は、奏でられた瞬間、完全に生き物として空間へ弾け飛んだ。
耳だけではなく、全身から旋律が私の中に入り込んできて、いや、私が音の大海に飛び込んだのか?完全にその響きにとりつかれた。
このマリンバを誰が弾いても同じ音がするとは、到底思えないような『通崎睦美さん色』の特別な音なんだと、勝手に感じた。魔法使いがステッキを振るとその先から星がふぁぁあ~っと出てくるみたいに、あのマレットを通崎さんがひょいっと振るといろんな顔した生き物が、次々と出てくるようで。途中、右に左にとマリンバの前を移動する姿までもが、何か意味のあるステップのように見えて。
とにかく、マリンバのその一つ一つの音そのものの深みと、それらが融合して作り出す響きや旋律に、その独特の味わいに完全に魅入られてしまった。
そしてそして、この生演奏だけでも大感激なのに、その上朗読とのコラボレーション。
『転生』。
確か7年ぐらい前に、私は初めて読んだのだと思う。
その時は、物語としての登場人物や情景に気がいっていたのか、その輪廻や業といった重大なテーマをさらりと通り過ぎてしまっていたようだ。
前読んだときはおそらく、ある意味業に苦痛を強いられるたくさんのキャラクターたちを見て、ポッと幸せそうに登場したワンちゃんの一人生のパートで、私はホッとしてしまったような気がするけれども、今回は違った。
そうやって、一つ一つの産まれてから死ぬまでの(まあ、一般的に人生といわれるもの)期間の内容がどうであるかではなく、根底に流れる『輪廻』していくという概念そのものについて考えさせられた。
もしも世界が自己を通して形成するのだとすれば、そこに私の思考が大きく反映するのは間違いなくて、つまりそれは私色の色眼鏡を通して勝手に世界を解釈するということで。私が悪く見れば悪くなり、良く見れば良くなると。そうやって無意識のうちに、自意識を前面に押し出して、少なくとも30年間は生きてきたのだと思う(あ。最初の記憶のない数年はきっと自意識はそんなになかったのではないかと想像するけれども)。
私は自分の意識により捉えられ、世界は主観によって偏っているのかもしれない。
輪廻転生することがなんとなく怖いとか、計り知れないとか、そう感じること自体が自意識を強く感じさせる、「この生きている現世が」という突出した考え方なのかもしれない。
『転生』の中でもう、生き物としての生を授かることをやめてしまいたいと思い、この輪廻の輪から外してほしいと心から思い、形のない循環する水となった時。
”この世のすべては因と縁によって存在する現象で、実体をもたない。”
そんな風に認識することができた気がする。
いやいや、認識、というほどでもなくて、その方が自然じゃないかい?とふと思ったという程度だが。
あれ、わたし、本当にこの本読んだことあったんだっけ。
というぐらい、新鮮で強烈で、私の芯に響くものがあった。
もちろん、田口ランディさんの声質も演出も含め朗読がまた素晴らしく、自分が文章を読むのとは入って来かたが違っていたというのも事実。
ああいうのを、エネルギーを内包した言葉を、ことだまっていうのかしら。
とにかく私は。
感動したのです。
”エンターテイメント”をはるかに超える、「生命を込めて表現されたモノ」を、目の当たりにできたことを私は大変幸せだと思う。
あの日のことは、ずっと忘れないと思う。
でも、今回は違った。
以前田口ランディさんの朗読を聴いたことがある。
その迫力や思いのこめられた言葉が持つ力のすごさを体感して、生の声や音を同じ空間で聞くことができることが、どれだけ素晴らしいことなのかを痛感していた。
これに加え、私が最も最初に触れた田口ランディさんの作品である「転生」が取り上げられているということ、そしてあのセンスの塊みたいな通崎さんのマリンバがからみつくとなったら、もう楽しみ以外の何物でもない。
マリンバって、実はよく知らなかった。
少なくとも生の演奏を聴いたことは一度もなかった。
その音は、奏でられた瞬間、完全に生き物として空間へ弾け飛んだ。
耳だけではなく、全身から旋律が私の中に入り込んできて、いや、私が音の大海に飛び込んだのか?完全にその響きにとりつかれた。
このマリンバを誰が弾いても同じ音がするとは、到底思えないような『通崎睦美さん色』の特別な音なんだと、勝手に感じた。魔法使いがステッキを振るとその先から星がふぁぁあ~っと出てくるみたいに、あのマレットを通崎さんがひょいっと振るといろんな顔した生き物が、次々と出てくるようで。途中、右に左にとマリンバの前を移動する姿までもが、何か意味のあるステップのように見えて。
とにかく、マリンバのその一つ一つの音そのものの深みと、それらが融合して作り出す響きや旋律に、その独特の味わいに完全に魅入られてしまった。
そしてそして、この生演奏だけでも大感激なのに、その上朗読とのコラボレーション。
『転生』。
確か7年ぐらい前に、私は初めて読んだのだと思う。
その時は、物語としての登場人物や情景に気がいっていたのか、その輪廻や業といった重大なテーマをさらりと通り過ぎてしまっていたようだ。
前読んだときはおそらく、ある意味業に苦痛を強いられるたくさんのキャラクターたちを見て、ポッと幸せそうに登場したワンちゃんの一人生のパートで、私はホッとしてしまったような気がするけれども、今回は違った。
そうやって、一つ一つの産まれてから死ぬまでの(まあ、一般的に人生といわれるもの)期間の内容がどうであるかではなく、根底に流れる『輪廻』していくという概念そのものについて考えさせられた。
もしも世界が自己を通して形成するのだとすれば、そこに私の思考が大きく反映するのは間違いなくて、つまりそれは私色の色眼鏡を通して勝手に世界を解釈するということで。私が悪く見れば悪くなり、良く見れば良くなると。そうやって無意識のうちに、自意識を前面に押し出して、少なくとも30年間は生きてきたのだと思う(あ。最初の記憶のない数年はきっと自意識はそんなになかったのではないかと想像するけれども)。
私は自分の意識により捉えられ、世界は主観によって偏っているのかもしれない。
輪廻転生することがなんとなく怖いとか、計り知れないとか、そう感じること自体が自意識を強く感じさせる、「この生きている現世が」という突出した考え方なのかもしれない。
『転生』の中でもう、生き物としての生を授かることをやめてしまいたいと思い、この輪廻の輪から外してほしいと心から思い、形のない循環する水となった時。
”この世のすべては因と縁によって存在する現象で、実体をもたない。”
そんな風に認識することができた気がする。
いやいや、認識、というほどでもなくて、その方が自然じゃないかい?とふと思ったという程度だが。
あれ、わたし、本当にこの本読んだことあったんだっけ。
というぐらい、新鮮で強烈で、私の芯に響くものがあった。
もちろん、田口ランディさんの声質も演出も含め朗読がまた素晴らしく、自分が文章を読むのとは入って来かたが違っていたというのも事実。
ああいうのを、エネルギーを内包した言葉を、ことだまっていうのかしら。
とにかく私は。
感動したのです。
”エンターテイメント”をはるかに超える、「生命を込めて表現されたモノ」を、目の当たりにできたことを私は大変幸せだと思う。
あの日のことは、ずっと忘れないと思う。
by desreelove
| 2009-04-21 21:14
| 本、映画、絵画、音
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